2013年春のこと。当時、日本には彼のボジョレ・ヌーヴォーしか輸入されていなかった。しかし、輸入元が試験的に仕入れたクリュ・ボジョレ「ムーラン・ナヴァン・フー・ド・シェンヌ 2006」を分けてもらうことができた。そのワインは、チェリーブランデーのような華やかな香りに加え、輝くようなミネラル感としっかりした骨格を持ち、気品にあふれていた。「こんな素晴らしい造り手のワインが、ヌーヴォーしか輸入されていないなんて!」と驚いた数か月後、輸入元が変わり、ついにフルラインナップが楽しめるようになった。まさに、キャリア20年のニューカマーとの出会いだった。
ミッシェル・ギニエは、ワインの品質の高さに比べて、ほとんど販促を行わない。彼の性格を表すように、極めて控えめで謙虚な人柄だ。彼のドメーヌがあるサオールナール村は、クリュ・ボジョレのフルーリー村から10kmほど北東に位置し、今では珍しいほど人里離れた山奥にある。標高500mの高地に広がる13haの農園は、周囲から完全に孤立している。
ミッシェルは小柄で痩身、日に焼けた顔に濃い眉が印象的だ。訪れたとき、彼は馬とともに畑仕事をしていた。この土地はもともと穀物栽培と畜産が中心で、現在もシャロレー牛を飼育している。ブドウ畑は7ha(すべてガメイ)で、南東向きの斜面には45度もの急勾配の部分もある。6月初旬、草を刈ったばかりの畑にはハーブのような香りが漂い、ミッシェルが土を掘り起こすと、滋養に満ちた腐葉土の香りが立ち上った。ブドウの樹齢も高く、若いもので25年、最も古いものは100年にもなる。
ギニエ家はもともと酪農を営みながらブドウ栽培も行っていた。ミッシェルは4代目で、この土地は1949年に祖父が購入し開墾した。彼は栽培・醸造学校を卒業後、アルザスとボルドーで修業を積み、1981年から家業に加わった。1988年に父から畑を引き継ぐが、ナポレオン法により兄と畑を分け合うこととなった。
当初は慣行農法を実践していたが、ミッシェルは次第に農業化学メーカー「モンサント社」の除草剤に疑問を抱くようになった。薬を撒くほどに畑が衰えていくのを目の当たりにし、1997~98年にはその除草剤の健康被害が報道され始めた。人体実験の被害者になりたくない、消費者に嘘をつきたくないという思いから、除草剤と化学肥料の使用をやめ、ビオロジック栽培へと転向した。
2000年には、尊敬する生産者クリスチャン・デュクリュの勧めでビオディナミ農法を導入。発酵に野生酵母のみを使うため、小粒のブドウを育てることを目標にした。植栽密度を高め、ブドウの根が競争するようにし、馬を使って畑を耕すことで、ミッシェルと馬ビステルの信頼関係は深まった。
2004年からはサンスフル(無添加)ワインの試験醸造を始め、2007年にはすべてのワインをサンスフルにした。村の人々からは「狂気の沙汰」と言われたが、ミッシェルは「情熱がないと続かない仕事だから、息子たちに継がせるつもりはない」と語る。
セラーでは、大樽を使った発酵・熟成が行われる。ガメイにはゆっくり熟成する大樽が適しているため、彼のワインは伸びやかな酸味とデリケートなタンニンを持つ。
ボジョレ・ヴィラージュ(ラ・ボンヌ・ピヨッシュ)や「VdFレ・グルモー 2006」、ムーラン・ナヴァンのプティット・オゼイユの古木を使用した「VdFモンカイユー 2009」などのキュヴェは、驚くほど複雑な味わいを持つ。ガメイが苦手な人にこそ試してほしいワインだ。
ワイン造りに対する真摯な姿勢と、自然と向き合う生き方。彼のワインは、単なる飲み物ではなく、その哲学が詰まった一杯である。